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ネガティブにデータサイエンティストでもないブログ

経済統計屋。気分悪くなったらごめんなさい (´・д・`) ゴメンネ データサイエンティストという呼称が好きじゃないんです https://twitter.com/dscax

データ分析する人が、なぜデータサイエンティストやビッグデータのブームに乗りたくないのか(続きです)

前回は、人気のないテーマだと思うけどデータベーストンガリスト向けに・・・というテーマでしたが、思わぬ反応いただけてありがたいです。今回は懲りずに前回の続きです。もちろん異論は認めまくります。今回もかなり了見の狭い内容なのでごめんなさい。

 

データサイエンティストはセクシー職業NO1だとか、あまりに現実離れした妄想と夢想が入り混じった2013年初頭からの風潮、怒りと気持ち悪さを禁じえませんでした。何度も燃え尽きがちな私にとって、このブログは、それで「データサイエンティストがこれから10年以内に消える理由3つ」を書いたのが始まりでした。そりゃあね、「ネガティブ」だとか「消える」とか、ネガティブワードはSEO的には長期的に不利なのわかっていましたよ。今でも検索エンジンには嫌われてばかり。裏もかけますけども。

 

 で、

 

もちろん、現場の人は真面目にやってるし、インタビュー受けてる人だって昔からやっている真面目な人が多いでしょう。ただ、メディアに持ち上げられて、プロモーションの一環としてか、新興企業や大学発ベンチャーなんかの出来たてほやほやで、弊社にはたくさんのデータサイエンティストがいます!と最初から名乗られると微妙な気分です。いやまったく社会経験なくたって名乗っていいんですよ。別に称号なんてものはどうでもいいです。ただ、含意の言葉がよくないんですよ。やっぱりサイエンティストという伝統的に敷居の高い言葉に引っかかってしまってダメなんです。研究経験のない者を自称でもサイエンティストとは呼ぶのはどうなのよとなる。それだけ別な意味で理不尽なほどに要件高いのがアカデミックなんだし、そんな世界に価値感じない人にとっては、なんで自分の仕事をサイエンティスト扱いされなきゃいけないのよという話だし。

 

差別化の必要なビジネスに、純粋な意味では差別化ではなく普遍化を担うサイエンティストは貢献しにくいのも知っています。やはりビジネス現場でサイエンティストいうのも違うんじゃないのとも。だから外野から見ていると、なにこれ?名乗った者勝ち?なんにでも2.0つけちゃえば新しく見える時代の再来?かと思うようになりました。

 

もっとやばいのはメディアです。当時、持ち上げるメディアのほとんどが、ユビキタスがー、クラウドがー、にもう飽きてきたから、次の希望を焚きつけるネタにさせてくれ感ありあり、でした。そのメディアの飢餓感に、危機感を持ちました。だって言ってる言説めちゃくちゃなところが多いんです。やらないと企業は死ぬみたいな論調とか、世界を救うセクシーナンバーワンの人材だとか、そりゃあ傲慢すぎるでしょうよ。でもって、人材紹介会社はデータサイエンティストをたくさん紹介してくれます。新しい職種とか言っているわりに、もうこんなにたくさん紹介してくれるんですか、と。

 

そういったお花畑を遠くで見れば、おーい、そのせいで死にそうなのは、こっちだぞー、と乾いた目にもなるというものです。

 

当時の流れで、なんでもかんでもaasしとけばいいじゃないの?Daasとか言ってなかったっけ(←Data as a serviceじゃなくてDesktop as a serviceですが)ビッグデータならPlatform as a dataとかbigdataになるんかね。Paad。ダサそうだから言われないのかね。

 

と、スルーできなかったのは、古い話ですが、傑作である宮部みゆき「模倣犯」の映画がまったく原作と違っていたように、後から、どんどん別物に仕上がっていくかのような何かこう、ザワザワとした気持ちになったからです。いろんな人が「すでに、もともと、そうしている企業、データ扱っている企業」を例にとって、あれやこれやと騒ぎ始めました。そういうのって昔ながらのベストプラクティスであって、データサイエンスちがうでしょ。先進的な企業も言われたくないと思うんだけど。それを遅れて政府や大学が反応するという毎度の流れ。これもやばいなと思ったのは、評価されずに虐げられてきた分析屋、研究者、数学屋、統計屋、大量処理スト、インフラ屋、マーケッター、ただの分析オタクらのルサンチマンを、このビッグデータとデータサイエンティストが背負っているように見えたことです。だって「データ」と「サイエンス」ですよ。すべてを包含するかのようなビッグワードすぎて各人の投影するものが違いすぎます。

 

長々と書きましたが、これらを究極的に要約しますと、

  

カリスマ美容師ブームのときに、床屋のおじさんがアホらしいとボヤく感覚に近いもの、を感じたわけです。

 

物事には、人がよってたかって改良してしまう場合と、人がよってたかって改悪してしまう場合がありえますが、その分岐点の一つは、その当事者が少ないことです。実体を知らない外野が多いことが成否の分水嶺です。ご多分に漏れず、これは外野が多くて失敗する後者に思いました。そんなにできる人数もいないと思っているからです。有象無象が集まって、このデータ土方と言える仕事が改善されるとは思えませんでした。

 

そこで土木業を営む知人の言葉ですが、「自分の設計した家に一度も住んだこともない一級建築士さんに、現場の鉄筋コンクリートの魔術師が真実を教えてやんよ。」という気概です。

 

もっといえば

 

 【算数】夢見るデータサイエンティスト君に、1個70円のりんごと1個30円のみかんを握り潰してこう言いました。「次はお前がこうなる番だ」

 

です。

 

ITやWebの場合は、もう米国追従は基本パターンであり、日本の悲しくどうしようもない習性(日本発のこの手の概念が未だに一つもないことが証拠です)なので仕方ないとは思いますよ。でもね、夢と希望を、職業に求めて、未来の貴重な時間と資源を捧げていくのだから、少しは実体を知らしめておこうよ。それでも覚悟ある奴はいつでもいらっしゃい、というのが現場の分析屋のせいぜいできること。

 

サラバしたり養成したり書評したり必要なスキルいったり、そういう啓蒙活動する偉人である実戦派の方々のおかげで、そういったお花畑的な論調が消えつつあるのは実に喜ばしいことです。統計最強学問の方だって主旨は違うのに、編者に変なタイトルつけられた最強学問になったと知ったときは、もうほんと可哀想です。編集は著者より、ぜんぜん考えていないくせにコントロールしたがりますからね。編者のつけたタイトルで著者が叩かれるのはやめてほしいです。

 

「Sexy Little Numbers」がなんで「データ・サイエンティストに学ぶ「分析力」 ビッグデータからビジネス・チャンスをつかむ」になるんだよ。データサイエンティストとか恣意的に付け足してんじゃねーよ。それにbig じゃなくてlittleだってば。 「Super Crunchers: Why Thinking-by-Numbers Is the New Way to Be Smart」がなんで「その数学が戦略を決める」になるんだよ。どっちの著者も、そんなこと書いてないでしょ、出版社は反省してください。あんたらがヘボいタイトルつけて、歪めてどうすんの。

 

このように日本においては、データサイエンティストやビッグデータという言葉は、世知辛い現場と、お花畑メディアの認識の差が、かなり離れているのです。

 

米国や英語圏のそれと明らかに違ってきています。そこが違和感の正体なんです。大きな要因の一つは言語バリアです。なぜなら米国にはデータサイエンティストはセクシーNO1の言い出しっぺとかのロールモデルとなる企業がいますが、日本には、そういった企業がほとんどありません。その手の米国企業の日本法人を見ても、大事な開発はすべて国外(日本にあるのは事務所と倉庫くらいです)であり、日本のそれはほとんど営業拠点でしかないわけですから、その会社に入社しても学べません。あの企業を真似して学びましょうと簡単にはできないのです。今までと違うのは、それがルールでもコンテンツでもファッションでも素材や燃料でもない、システムそのものだから、輸入しにくいのです。Country別に社会インフラや法整備の事情も異なります。だから人材のルサンチマンとIT投資における閉塞感も相まって、過分な期待と妄想が入ってしまうのです。もちろん良い風に独自に変わっていけば問題ないですがね。国内企業なのに社内英語しゃべろうというのはそれの苦肉の策です。ああ、日本の企業が学ぶ先が、日本の企業にいないってことだよなと思います。トップ企業ならなおさらね。

 

会社や仕事内容、組織構造がまるでそうでない成り立ちだというのに、テクノロジーと最新の理屈だけが(海外を追いかけろと)先へ先へといこうとする。

 

それが何を生み出すのか、想像つきますよね。そう、いくらやっても終わらない(儲かりにくい)仕事のための仕事と、無駄な管理の軋轢が増えるだけ。長期的には日本の企業体力を奪ってしまいます。いくつかある世界が学びたくなる日本固有の素晴らしい会社はそんなことしてませんよ。そんなにUSを真似したいですかね。あなたの理想はあちらにもきっとありませんよ。

 

例えば、分析のわからない経営者やマネージャーは、高度な分析なんて評価できませんから、あれこれドキュメントだと叫びますよ。わかりきったことです。わからないから理解させてくれと言います。けれど、ほとんどの場合、ドキュメント読みませんし、理解させたからといって何にもなりません。逆に、高度な分析がわかりすぎる経営者とかマネージャーがいたらどうでしょう?もっと大変ですよね。本来は混沌と変動しているビジネスに、論理を炊きつけて無理解になって失敗する可能性が高くなります。だから企業はビジネス貢献で考えるしかないのだし、企業は競争力に結びつきにくい研究者養成所でもないんだから。そうした企業に翻弄された近年の基礎研究者は可哀想でしょう。

 

リモートで仕事できない組織体制(これは政府も整備がおろそかだと思いますが)なのに、チャットルームや社内SNSだけ作って、実際は同じフロアで会話したりとかするから廃れるんですよ。(←やつあたりでごめんなさい)

  

まともな会社だって、少なくとも今までは食えるシステムによって成り立ってきたわけで、そんなに簡単にビッグデータでガンガンいこうぜ組織になんて変われるわけないんです。だから、あんまりブームに惑わされず、他社と同じことなんて追いかけてないで、独自の価値を創り出す方向へ進みましょう。大量処理が、機械学習が、人材の枯渇が、本当に問題ですか。本当は見たくないところを見ないようにして、何か改善したように見える方向を模索しているだけなんじゃないですか。

 

 それを直接、個人が指摘すれば嫌われると思います。そういうときこそ「だって分析だとこうなんだから(私に言っても仕方ないんだから)なんとかしようよ」と嫌な感じだけど、指摘して、地道に修正していくことが、ビジネスのために本当に分析という行為が役立てるところだと思っています。大量のリソース投入して「そんなの知っているよ」とか言われたら未来ないですよ。実体と離れすぎてませんかね。 

 

 

いつも文句ばっかりいってごめんなさいね。

 

 

 

 

 関連記事

 

前編 データ分析する人が、なぜデータサイエンティストと呼ばれたくないのか

http://negative.hateblo.jp/entry/2013/11/15/213045

前編です。文句ばっかりでごめんなさい。 

 

データサイエンティストがこれから10年以内に消える理由3つ

http://negative.hateblo.jp/entry/2013/05/10/174047

もう隔世の感ありますが

 

 

次回は理由あって懲りずに映画ネタしたいと思います。