ネガティブにデータサイエンティストでもないブログ

経済統計屋。気分悪くなったらごめんなさい (´・д・`) ゴメンネ データサイエンティストという呼称が好きじゃないんです https://twitter.com/dscax

労働の二極化に抵抗する、捨てるを捨てないという1つの選択肢 (実務者向け)

皆さん、カキ氷好きですか。カキ氷。私は大好きです。ほんのりとした甘さの後に、キーンと意識が覚醒する感じが、たまらないですよね。そのせいなのか、職場で冷たい奴と思われてるからなのか、5300年前の氷河から発見されたミイラのように古びて埋もれた存在だからなのか、本業ではアイスマンと呼ばれたりします。たまらないですね。どうでもいい前ふりはさておいて。

 

 

巷では「早期リタイアを目指せ」だとか「年収1000万円が一番幸せ」だとか「秒速で1億円」だとか「稼ぐが勝ち」だとか、いろんな意見や提言があります。統計的に言えば、誰がどんなことを言って何をしても97%の人は関係ありません。私も負け惜しみっぽく関係ないと言っておくとして。統計としては日本人の生産人口の3%が年収1千万以上だからです。日本人は例外を嫌う習性がありますが年収だけは誰もが例外になりたいのが人情というものです。

 

 

少し昔、いや今でも、若い世代の台頭を喜び、(若い人限定の)グローバル人材論をぶちあげ、海外で修行している人が海外に出てこいと手招きしています。そういう人は語る資格もあると思うんですが、ちゃっかり国内で生活して築いた地位がありながら、ポジショントークでお前らは海外に行けと騒ぐ投資家や経営者もいます。メディア御用達な評論家にも多いのですが、日本で育った人材と海外で育った人材のその後を人生追跡のA/Bテストも行っていないのに、よくもエイヤッなアジテーションができるものだと思います。アカデミックな方には、ぜひ国内外キャリアを追ってA/Bテストな研究してみてほしいところです。きっと面白い研究テーマですよ。おそらく驚愕の結果が待っているでしょう。実際のところ、海外留学組などは国内から見れば厳しい雇用状態で、海外留学の効果はマイナスに見えるほどです。もちろん例外的な強者は数は少ないけどどこにでもいますけど、それは単に生存バイアスにすぎません。統計は無情です。嘘だと思うなら人材紹介会社のデータに聞いてみてください。間違えていたら訂正します。

 

 

少しだけ種明かしをしておきます。海外で敗れた疲れた日本人は、当然、日本に戻ってくるしかありません。ところが日本は社会制度設計的に再チャレンジが難しい国です。この国の流動性のなさは世界最強レベルです。語学はたいてい再就職の役に立たず(必要ではあります。しかし質と仕事の絶対量は違います)、日本の商慣習に溶け込むためには、海外で溶け込むために支払った努力以上の適応コストを再度支払わなければなりません。これは全世界共通の障壁です。母国以外で学び戻ってくると、語学取得コスト以外に、環境適応コストも倍増するからです。だから、海外に出ていった人が日本に戻ってくることは二重の意味で不利です。海外に学びに、働きに行ったのなら、そこで適応し、日本に戻らず働くのが有利でしょう。一方、一部の海外帰りの強者が圧倒的なリターンを叩き出すというデータもあるにはあるので、戦略の優劣や結果は試した後でしかわかりませんが。

 

 

無常な統計として言えば、ほとんどの場合、世の中の97%に収まってしまうこと。そしてキャリアや事業の方向転換(pivot)は明確なコストということです。

 

 

あれこれと不安を煽り、庶民を鼓舞し、イノベーション、起業、英語、クラウド、ビッグデータだと煽る流れがあったかと思えば、実際は就職氷河期だ、深刻な若年労働者の雇用不安だと、微妙な希望と絶望の矛盾した現実を抱えています。例えばポスドク問題がデータサイエンティスト的な潮流に(本来、別次元ながら)織り込まれているように。

 

 

昨今のブームで言えば、全社員、英語必修や、分析などの高度な(いくつかはすぐに消えそうな)スキルの取得をお題目に掲げていますが、私は学習と実行の順序が逆ではないかと思います。昔から習うより慣れろといいますが、現在は慣れるより習えになっているようです。知識の共有は進んだ一方、経験が育たなくなっている。

 

 

できる誰かを優先する世の中では、とりあえずの誰かの仕事はなくなり、さらなる独創的な専門性を身につける時間は用意されません。より高度なスキルに磨かれずに埋没していくでしょう。習うより慣れろなら、乗り越えて成長する機会もきっとあったはずなのに。できる誰かに機会を奪われて未成熟で終わっていく。一方、そのできる誰かも熾烈な人材争奪戦と高騰(id:tjoさんの推測)を経て、高めていけたはずの別スキルを獲得する機会が減っていく。できる誰かに高レベルの仕事が集中するがゆえに、降りることを許されずに、それしかできなくなって世俗と乖離していく。それが分析人材のキャリア・プラトーです。気づけば年を取り、専門スキルを発揮できなくなった頃には、管理、会計、育成、経営、・・・他のスキルが身についていません。それを若いうちに危惧できるのなら、それは一流の素質です。局所を極めるほど全体に不安になるものです。高額納税者ほど国を心配する気持ちと同じです。

 

 

これが現代における短期的なスキル二極化を起こし、長期的には多数の不幸を呼ぶシステムの一因でしょう。

 

 

例えば、海外MBAを修了した人でも英語の契約書というのはかなり難しいものです。2年も海外にいて経験を積んでもまだ足りない。しかし、本来、極めるということはそれくらいのコストを支払わなければいけないことです。他人に英語の重要性を説いていながら英語の契約書が読めないMBAが大半です。それが日本人の英語取得の95%上限でしょう。しかし海外の契約書を読めなくて海外で勝つのは難しいことです。もちろん、だからといって、それが間違っているとも思いません。それも競争社会を生き抜くための適応の一つですから。短期で中途半端にスキルを身につけることも一種の戦略です。ただ結果の出にくい社会構造が存在するということです。個人の問題として論じてはいません。それゆえに属人や組織の力でそれを乗り越えていくストーリーは語り継がれたりもします。

 

 

では同じ理屈で、身につけるべき系のスキル本にあるようなスキル一覧をすべて身につけるには、どれくらい時間がかかるか考えたことがありますか。

  

例えば、技評や日経(個人的には嫌いですが)あたりのお家芸でもある、なんとか技術者の養成読本の類をイメージしてください。もちろん、そのお仕事ぶりを非難してはいません。単に、そのお題目をすべて学ぶにはどれくらいのコストがかかるでしょうか。という問いです。

  

簡単な推定です。わかったつもりの自己満足なら1日でもいいですよ。だけど実用レベル(=もちろん競合と競争可能なレベル)になるのにどれくらい時間かかるでしょうか。

 

例えば、仮にHadoopとかの導入から基本実装など学ぶ(バージョン問題とかあれこれ面倒深いのですが)としてみます。お題目ごとに100時間くらいとおいてみましょう。hiveやmahoutなどの派生スキルは別なお題目とします。専念したとしても最低1ヶ月くらいは必要とおきましょう。派生を考えれば身につけるべきスキルのお題目数はたいてい10を超えます(その手の本の目次を見てください)から、全部だと1000時間超。もろもろ1年は超えそうです。モラトリアムな方でもない限りは普通は仕事しながらのことなので専念もできません。だから専念1年、自習なら3年以上はかかる試算です。その間にも次々と新しい技術が知識が出てきていることでしょう。なんと3年前のことをきっちり学べた後、世の中は3年進んでいるのです。キリがありません。そういう推定からして、なんでもできる超人は最初からいないのです。ゼロから高度技術者を目指す人は、そのコストをあらかじめ見積もって、何らかの割り切りが必要です。

 

  

商売にしている人は言いにくいことですが、あえて言います。ドライな判断が必要です。それはネガティブな意見かもしれませんが、無関心や皮肉とは違います。あなたや、あなたの会社を守るために必要なことでもあります。

 

 

実業務に関係がないのなら手を出さない

(100人以内の営業の事務処理ごときにHadoopは不要です)

 

とりあえず既存技術で代用する

(別にVBAでもEXCELでもいいじゃないですか)

 

許容できる時間であれば計算は遅くてもいい

(計算結果を待つ間に、以前のデータをよく読んで振り返ったらどうですか、予測のトレーニングにも最適です)

 

速度より安全

 

精度より試行回数

 

合理化よりステークホルダーとの蓄積

前回の記事を参考ください

 

習うより慣れさせる

 

熟練者に仕事を集中させない

 

初心者に仕事を与える

 

・・・

 

そういう割り切りも、ダサいとか非効率であるとか思考停止だと馬鹿にせず、考慮しましょう。うまくやってきた方法で勝負する。成功の呪縛ならば上等じゃないですか。成功していない呪縛に意味ありませんけど。やるもやらないも激変する競争環境にさらされながら勇気のいる決断です。短期的な損失を覚悟するから長期的な利得を追いかけられることがあると思いませんか。進むか進まないかはあくまで冷静に、分析してロジックを補強して対応しましょう。いままでしていなかった企業なら、そんなにWebアクセス解析が重要ですか。もう遅いですよ。それなら、さっさとやらない決断をして別なところにリソース使いませんか。Webのトラフィックなんかを追うよりも、物流のリアルなトラフィック見直すほうが企業業績インパクト高いですよ。

 

 

煽られるままであれ、自分なりの確信がある場合であれ、どんどん新しいスキルを獲得しようと意識高く学び続けることは適応のための戦略としては最高のものですし、素晴らしいと思います。ただ、そんなに続けられるでしょうか。無限のやる気と時間をひねり出せる方を私は知りません。

 

 

だから適応しないのも適応の一つです。捨てるという選択を捨てないことです。潤沢ではない会社の、97%の個人の、生き残り戦略としては、捨てることこそ、かなり重要なのです。無限の追従も模倣も不可能である以上、捨てるからこそ価値の追求ができることがあります。burn the bridgeしないほうがいいのは会社や個人の関係性くらいです。検討対象はどんどん捨て去りましょう。97%の誰もがラットレースに参加する必要はありません。

 

「データサイエンスを採用するか、それとも死か」、受け入れなければ競合が先に行くなんて余計なお世話なんですよ。そんなの自分で決めましょう。そもそも競合が先に行く世界を遅れて追いかけてどうするんですか。

 

 

どうもありがとうございました。

 

余談)

ドタキャン待ちぼうけくらって新幹線待っていたら、予想以上に長くなってしまったので次回に続きます。冒頭のカキ氷に話題が届きませんでした。ごめんなさいね。

私がカキ氷を好きな本当の理由が明らかになる(←超どうでもいい発言)のは続きにて。

 

 

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労働の二極化に抵抗する、上級者への簡単な道~とあるカキ氷屋の統計技師(データサイエンティスト)

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長くてごめんなさい。分割した本記事の後編です。途中から超展開します。

 

データの分析における、たった1つの重要なイベント(実務者向け)

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実務者に向けたメッセージ。